Satochanの
*********************
2024-3-21
サトちゃんの閑話休題
“「おにぎり」は今や世界的人気フード”
コロナ禍がひと段落着いて、
訪日する外国人がコロナ禍前を凌ぐ勢いで
観光地はもとより日本全国至るところで
日本人がこれまで特別注目しなかったような場所でも
旅行前に入念に調べて来た外国人で溢れている。
食についても同様に、日本のソウルフードとして
日本人には普通の昔ながらの弁当として受け止められてきた
「おにぎり」 (注;通説では東日本では「おにぎり」
西日本では「おむすび」ということが多いらしい!)
がこのところ海外でも超人気の食材になっているようだ。
コロナ禍の時期に「おむすび」は
テイクアウトし易く、場所を選ばず手軽に食べられ
小麦粉を使わず物価上昇の影響も少ない米が使われている事で
グルテンフリーのヘルシーな食材として
ビーガンの人たちにも一躍人気が高くなった。
又最近では料理人たちが様々に創意工夫し
炊いたご飯の中に包む具材も様々で
多様な嗜好や食文化を持つ人たちの
口にも合うということも
人気を押し上げている要因なのだろう!
多くの日本人は昔から「おにぎり」に親しんで来た。
かくいう私も子供の頃から
遠足や運動会、旅行、登山などなどの時は
母親が早起きして炊き立ての
熱々の白米を手塩をつけ 手を真っ赤にして
フワッと握ってくれたものである。
真似して私も握ろうとしたが
火傷しそうになって母に任せた記憶がある。
その日は汗をかいたり疲れた後のお昼は
本当に楽しみの時間であった。
中味はほぼ母親手作りの梅干しか、塩鮭であったが
すでに冷めてはいるが 海苔に包まれた「おにぎり」を頬張り
そのうまさが口内に広がる瞬間は
まさに至福のひと時であった。
昔 モスクワからレニングラード(現サンクトペテルブルグ)に向かう
列車の中でこの子供の頃からの体験が蘇った思い出を一つ、、、
その日は、天気も良く気分上々で
列車の窓外の過ぎ去る白樺林に目をやりながら
到着先のレニングラードで訪れる予定の画家達の事や
久し振りに訪れるネヴァ川沿いのエルミタージュ美術館の
膨大なコレクションに想いを馳せていた。
途中昼近くになって腹が空いて来たと感じた頃
同席していたロシア語の女性通訳が
「奧田 さん!そろそろ持ってきたお弁当を食べましょうか?、、」
と尋ねて来た時、私は何故か「おにぎり」を想像してしまった。
果たして彼女が取り出したのは、黒パンとハムのサンドイッチであった。
ああ!ここはロシアで彼女はロシア人だったんだと我に返った!
思えば彼女とはこれまで何度もロシアの各共和国を
あちこち巡って来たので自ずと親近感が湧き、
日本人に接するような気持ちに
なっていたに違い無い!
ところで日本のソウルフードである「おにぎり」は、
もち米を蒸した強飯(こわいい)をにぎった“にぎりめし”が原型だそうで
形の三角形は「山の神様」に由来しているらしい!
昔の人間は 山に宿る神様が太陽や恵みの雨を運んでくれていると信じ
その山の神様の力を授かる為に
ご飯を山の形に見立てて三角形に握って食べたそうである。
私の母の握る「おにぎり」は、丸みを帯びた三角形であった。
私は、日本昔ばなしの「おむすびころりん」を読んだ時に
山で木を切る正直爺さんが、「おむすび」落とすと
コロコロ転がってネズミの作った木の穴に入ってしまう位なのだから
丸い形だったのだろうと思っていた。
三角形では多分途中で止まって転がり続けることはないだろうと
思っていたので正直爺さんの妻のお婆さんの作った「おにぎり」は
母の作ったものよりもっと丸いものだったのだろうと想像していた。
それだけにこの三角形の由来を知った時、
「ふーん!成程!」と思ったのだ。
いずれにせよ 約1800年前の弥生時代後期の遺跡からも
おにぎりの化石と思われるものが発見されているのであるから
「おにぎり」はまさに日本のソウルフードと言っても過言でない。
日本人が弁当や非常食として当たり前に食べ続けててきた
この海苔を巻いて食す「おにぎり」が
今や世界中の人達に注目されヘルシーで貴重な食材として
本来の食べ方通りに素直に受け止めてられ
積極的に摂取されはじめて来たことは実に嬉しい!
東京の大塚で開業している「おにぎりや」で
休日6時間待たなければ食べられないという超繁盛店があるが
ここに来るまで紆余曲折の苦節何十年の地道な努力を
重ねて来た結果が多くの客達から
「一度食べたら忘れない!」と言わしめている。
然るにとかくに、姑息な人たちがこの機運に乗じて
握り飯屋を大した努力もせずに安易に開業して儲けようとすると
おむすびころりんの隣の欲張り爺さんのように
痛い目に遭うことになる。
何事も謙虚で必要以上に欲張らない様にしたいものだ!
*********************
2024-2-22
サトちゃんの閑話休題
“マルクシャガール
「我が回想」”「ネタニエフ首相の頑な野望に疑問!」に
書き加えての投稿です
シェークスピアの書いた戯曲・喜劇「ヴェニスの商人」
と並んでユダヤ人画家マルク・シャガールでもあります。そこで
今回はマルク・シャガールについての言及です。
白ロシア・ヴィテブスク生まれの画家マルク・シャガールは、
彼の代表作(現在ニューヨーク近代美術館所蔵)「私と村」に
描かれているのをみても分かるように
生まれ故郷の愛するユダヤ人の村「ヴィテブスク」を題材にした
多くの作品を遺しています。
敬虔なユダヤ教徒達の住むこの村でユダヤ人として生まれた
シャガールは子供の頃に体験したこの村の全て
すなわち
娘達の笑い声、子供達は元気で賑やかに飛び回り
金切り声をあげて子供達を叱りつけるおかみさん達の叫び声
井戸水を汲むつるべの音、山羊や鶏の鳴き声
楽器を鳴らし民族音楽を歌い踊り楽しむ村人達
日向で日がなくつろぐ好々爺
農耕用のロバ達が行き交う田園風景などなど
まさに貧しくても穏やかで平和で
世話好きな人達に囲まれたヴィテブスクの村を
生涯愛して止まなかったのです。
シャガールの感性はこの環境が育んだものでした。
美術への関心からシャガールの実物作品を
一目見た時からマルクシャガールという画家に興味を抱いた人間は
おそらく美術出版社刊行(1965年)のシャガールの自伝の
翻訳本「我が回想」をきっとお読みになったことでしょう!
かくいう私も若き日にこれを書店で購入しこの本を通じて
ユダヤ人と彼を育んだロシアの大地への想像を巡らしたものでした。
ちなみに日本では故・森繁久彌等が主演し記録的長期公演した
貧しいユダヤ人の牛乳屋一家の日常の苦難話;
「屋根の上のヴァイオリン弾き」のタイトルも
シャガールの絵画「ヴァイオリン弾き」から
とられたものであることは有名である。
世界中で上演されたこのミュージカルが
特に日本において大好評を博し
長期公演が続いたのは森繁久彌の好演技もさることながら
家族への愛情、世代間の如何ともし難いギャップ、
伝統的な宗教観の固辞と言ったストーリーが
日本人には多くの共感を得たからに違い無い!
ことほど左様に
これまで我々が知る「流浪の民」ユダヤ人達は
貧しくても豊かな心を持つ「平和な民」であったはずなのである。
それが前回も述べたように今や「武力」を持って
自分たちに敵意を見せる相手を「完膚なきまで制圧」しようとしている
ことが私には残念なのだ。
掲載写真
マルクシャガール作「私と村」
1911年作 油彩
ニューヨーク・近代美術館蔵
*********************
2024-1-24
サトちゃんの閑話休題
“イスラエル・ネタにエフ首相の頑な野望に疑問!
「報復という呪縛に囚われるのは人間だけ」”
何億年も生きて来た、、、」
イスラエルとパレスチナの戦闘が勃発して
すでに4ヶ月が経過している。
1993年のオスロ合意後、ガザとヨルダン側西岸でパレスチナ自治
が開始され一時的な平和が訪れたように見えたのも束の間
イスラエル軍の占領下にあってパレスチナ人の不満と
パレスチナ武装勢力の攻撃は止まず
それに対するイスラエル側の
「報復攻撃」の繰り返しが続き「和平」はもはや言葉遊びに過ぎない
ものとなり完全に破綻してしまった。
今日まで3000年にも渡るこの地域の政情不安定さは
第3次世界大戦勃発の引き金にになると長い間不安視されてきた。
考えてみれば、紀元前1000年前 ユダヤの地・ダビデ王国が
ローマ帝国に滅ぼされヨーロッパ全土に逃れた「流浪の民」
ユダヤ人達は実に目先が効き、手先も器用で手工業や商業、
金融業といった分野でヨーロッパの異民族達と
武器で戦うことなく賢く巧みに協調しながら生活し
命を繋ぎ財を蓄えて来たのだ。
おそらく我々日本人たちもユダヤ人の気質を知る契機になるのは
高校生くらいになり初めて「英語のリーディング教材」として読んで知る
シェークスピアの戯曲・喜劇「ヴェニスの商人」を通してではなかろうか?
この中では、悪名高いユダヤ人高利貸し・シャイロックが
毛嫌いする商売敵のヴェニスの商人・アントニオに貸した金を
もし返せなければ1ポンドの彼の肉を要求する証文を取り付ける。
その後、金を返せなかったアントニオの命を裁判で公然と
奪えると目論むが
証文に書かれていない「肉は切り取ることを認めても
血を一滴も流さずに肉を切り取らなければならぬ!」
という偽裁判官の知恵の廻る判定の前で結局断念して
自身の財産も半分失った上に
よからぬ目論見故に受けた死刑の判決の免除のために
キリスト教への改宗を余儀なくされるという
なんとも滑稽で「強欲はおバカな結果になるぞ!!、、、」という
アイロニー込めた喜劇なので多感な時代の若者達には
インパクトが強いのである。
同時になんともユダヤ人とは商売上手で狡賢く抜け目がない反面
素っ頓狂な好人物なのかもしれない等と
私なんぞは思ったものである。
然るにヨーロッパ各地に散って懸命に生き抜いてきた
「流浪の民」ユダヤ人達は、
歴史の中でロシアをはじめヨーロッパ各国で多くの迫害を受け、
特にドイツにおいては「ホロコースト」に見れれるように
600万人にも及ぶ人間が殺戮された。
従って孤高な彼らの才能が生かされる最良の地を求めて
ユダヤ人に対し寛容であった米国に移り住んだ理由も頷ける。
最新の統計によれば、
世界のユダヤ人の数はおよそ1500万人だそうであるが、
うち600万人が米国で暮らし、
金融業や貿易、IT関連企業の創業者として莫大な財産を築いて
世界をリードしている人物がいることもご承知の通りである。
一方で20世紀後半に入り中東外交を広げたい
イギリスが「三枚舌外交」によりパレスチナの地での
ユダヤ人国家建国の空約束手形を出したことから
建国を求める「シオニズム」にいっそう拍車がかかり
米国など他国に安住の地を求めるよりも
ユダヤ人の建国の地に戻りたいという人々も多く
入植者が増える結果を生み出した。
ところが問題は
これまでユダヤ人迫害とは無縁でパレスチナをイスラム教の聖地として
統治してきたアラブ諸国にとって突然のユダヤ人の占領に同意する訳もなく
対立は必然的となったことである。
1948年の国連決議により
イスラエル建国宣言でパレスチナを追い出されたアラブのパレスチナ難民が
続出するにつれてもはやアラブ諸国にとって
イスラエルは自分たちの生命を奪う
国家として黙認できない物騒な国と結論づけ
もはや武力闘争以外の方法は無いという事になってしまった。
然るに対するイスラエルも軍拡が進み今日事実上核兵器を
持つ国になるまでの軍事国家になってしまっている。
もはやユダヤ人はかつての「平和の民」の面影は微塵もなくなってしまったのだ。
戦後70年以上も戦禍の憂き目に遭うこともなく平和を維持して来た我が国でも
過去の歴史の中で武家の時代 「仇討ち」(明治になって禁止されたが、、、)
ということが日常的に認められてきた。
特に「日本三大仇討ち」として有名な歴史的事件は、
「曽我十郎五郎兄弟の仇討ち」「赤穂浪士事件」「鍵屋の辻の決闘」である。
しかしこれとても「親や仕える殿様」の受けた屈辱を晴らす目的であり
成就した後 間も無く「病死」もしくは「首を刎ねられたり」「切腹」をしている。
武士道に通じる潔さで自らの犯した行為に決着がつけられ一代限りで
死を全うしている。連綿と自分の命を繋ぎ止めて生きながらえようとする
姿勢は皆無である!
ましてや子々孫々まで「報復」の連鎖の歴史を引きずることなど「恥」の
上塗りと考える精神文化で支えられてきたのだ。
だからこそ芝居などで「美談」として語り継がれても来たのだ。
然るに世紀を超えて「報復」の連鎖を繰り返す中東をはじめ欧米各国の文化が
どうしても馴染めず、「報復の呪縛に囚われている」としか思えず
不可解なのは日本人たる私だけであろうか?
この地球上で植物をはじめ昆虫や鳥達は、
互いに程よい距離感を保ち、共生して何億年もこの地球上
を生き抜いてきたのだ。
少なくとも私は今後の人生を「恨み心」は、小さく早いうちに捨てて
彼らに学んで安穏で共に平和な暮らしをすることに
注力したいと思ってしまうのだ。
*********************
2024-1-24
サトちゃんの閑話休題
"想定外、、、”
日本国民が、想定外という言葉を頻繁に
テレビのニュース番組などで
聞く機会が増え出したのは
思えば2011年東日本大震災時の
福島第一原発の事故後からではなかろうか?
2005年ライブドアの堀江貴文(通称・ホリエモン)が使った
「想定の範囲以内(想定内)、、、」がその年の新語・流行語大賞に
選ばれそこから派生した「想定外」という言葉を
市井でも度々耳にするようになったが、
今ではもう何か事があるとよく使われる。
本年2024年は、こともあろうに元旦から
能登半島地震に始まり
羽田での日本航空機事故
そして昨日の新幹線の事故とわずかの期間に
立て続けに人心を震撼とさせる
「想定外の災害」が起こったのだ。
我々はこの世に生を受けて
春秋に富む30代くらいまでの若い頃は、
予期せぬ事象や偶然の出会いに興奮したり
夢を膨らませ、胸をワクワクさせ
心機一転我が道の前途洋々たる未来に
壮大な想いを馳せられたのだ。
むしろ既定路線に従うことはつまらなく
疑問と退屈と欺瞞にしか如かず
例え失敗し傷ついたとしても
予期せぬことに挑戦する道を選んでこそ
悔いなく自身を愉しませ後悔なく生きられると思う訳なのだ。
この世に生を受けたことへの
感謝と享受はそうして掴めると信じて来たのだ。
然るに近年の「想定外」は
「人の命の維持保証が全くない」ということが
重大問題なのだ。
100歳近く生きて来た長寿者達は、
押し並べて「今が一番幸せ!」と言う。
その言葉の奥底には、
その道程の数々の艱難辛苦を乗り越え
今生きて笑顔の中で穏やかに過ごしている。
「幸せを心底実感」している姿が見えて、
実に美しく私には見えるのだ。
論語の言う「矩を踰えず」どころか「不惑」にも至らない
未熟者の私何ぞは
「想定外」と言う言葉に
この先の地球と人類の行き着く先が
如何になるか暗澹たる気持ちで
漠然と空恐ろしくなっても
なんの策も手立ても持たないので
「えへらへらと ノー天気に、、」
長寿を目指してひがな
今日もこうしてやり過ごしている。
2023-11-11
"引導を渡されたシジュウカラ、、、”
シェーネの庭にも一年中「シジュウカラ」が餌を求めて
やって来る。
漸く秋深くなりかけた今日も、すでにこぼれ落ちたシソの実を啄みに
先ほどからしきりに土を突いている。
シジュウカラは漢字で「四十雀」と書く。
この「四十雀」に関するあの江戸の頃
小坊主時代の一休和尚のエピソードが面白い。
ある男が死んだシジュウカラの成仏を願って
寺に持ち込む。
出てきた小坊主(一休和尚)に「引導」を祈願すると、
その鳥の名を知らぬ小坊主が鳥の名を始めて聞いて
その時放った言葉が気が利いている。
「何!シジュウカラ?人間でさえ人生わずか五十年というのに、
なんじは小鳥のぶんざいでシジュウ(四十)カラとは生き過ぎたり!
カアーツ!」と叫んで引導を渡したというのである。
今や「人生百年時代」と言われ人間の寿命は当時とは比べるも無く
長寿になっている。今なら、一休和尚はなんと引導を渡すのだろう?
翻って、私のような未熟者が100歳まで長寿をまっとう出来た折には
一休和尚は、なんと私に引導を渡してくれるのだろう!
「カアーツ!!!」
2023-10-23
"甘塩っぱい食べ物は、脳の麻薬?、、”
“秋晴れの日、、慮外千万、、、”
一番美味しい食べ物だと思って
悩む事なく育って来た幼少期を
過ぎ、次第に年嵩が高じて、
それまで目に触れた事や
味わった事が無い料理や
食べ物を知るに連れて自分の味覚と言うものは、
決して絶対的ものではなくて
本人の性格によるのかも知れないが
およそ生まれた環境や季節、気候、時間、
その時の気分や体調等々で容易に
変わってしまうほど曖昧でいい加減なものなのだと
大抵の大人は知っている。
脳は、いつも心地良いと感じる場面が設えてあると
素直に抵抗なく受け入れ
これまでの嫌な体験と偶然にも符合したりすると
どんなに上等なものでも拒絶したり
一言文句をつけたくなるようだ。
ことほど左様に脳の働きは、
よほどの強烈なことがない限り
上書きすることが困難な程
人間の味覚に対する感覚は
初期設定の力が良きにつけ悪しきつけ災いし
厳然として後年まで
引きずってしまうものなのだ。
然るに料理のテレビ番組は私も好きでよく見るのだが、
どの食材を使うかに限らず出来た料理の「食レポ」を聞くと
ほぼ、甘味と塩加減の絶妙な旨味つまりこの「甘塩っぱさ」が
「うま!」「大変美味しい!」という言葉に結びついている。
確かに「甘いもの」と」「程よい塩味のもの」を交互に食べると
いつまでも止まらず食べ続けられるのは確かなことで、
これは万国共通の人間の味覚のようだ。
人間の脳は「甘塩っぱさ」に対してどうやら盲目的に快感を覚えるようで
もはやこの麻薬の虜になったと言っても過言でない!
今からでは少し遅きに失するかもしれないが
私も毎日の食事管理を改めて見直しているところである。
掲載写真:フリー写真
2023-9-25
そう!彼岸に入り戸外の気温が低くなって
高い青空の秋の季節がようやく到来したのだ!
今日は午前中から、
一際真っ直ぐ高く伸びたバラ「ルージュ・ピエール・
ド・ロンサール」の
一本の枝先にずーと何時間も
アキアカネが留まっている。じっーと、、、
どうやら、周囲より一段と高いこの枝先に止まり
トンボの特別優れた複眼を使って
獲物に狙いをつけて捕獲の機会を待っているようだ。
この「耐え忍ぶ執念」に私はいたく感興がそそられ
写真を写したい気持ちが湧いた。
然るに部屋から撮るには遠すぎるので庭に出た。
近づいて撮ろうと不用意にかがみ込んだのが拙かった。
バランスを崩して仰向けに後ろに倒れ込んでしまったのだ。
お陰で側に植栽してあった別の薔薇の棘で、
上腕部に一筋の大きな傷を作る羽目になった。
幸い庭石に頭をぶつけることはなかったのは良しとしても
もう時期咲いてくるはずの秋バラの枝1本は折れてしまった。
、、、とほほ
「慮外の出来事」に、今更ながら足の筋力の衰えを
意識せざるを得なくなった。
トンボの写真はなんとか写せたが、その後
気がつくとあのアキアカネは、もう戻ってくることはなかった。
どうやらこの場所は「物騒だ!」と思ったのか
或いは、「美しい自分の姿を写してほしかっただけ!」
だったのかも知れない!、、、、
2023-9-1
"儘ならぬ耐暑をさらに悩ます吸血鬼、、、”
やらねばならぬ夏の庭作業が、
「熱中症」のことなどを考慮すると
水分補給や休憩時間も頻繁になり
年齢の積み重ねも上乗せして
体力の衰えを感じすっかり効率が落ちている。
これまで一日で出来たことが二日間に及ぶようになってきた。
さすれば、これまで気にならなかったことが
色々厄介と感じるようにもなっている。
現在の最大の厄介事が「吸血鬼・蚊の襲撃」である。
通常夏の庭作業は他の季節より念入りに
紫外線避けのメガネと帽子そして手袋をし
ほぼ肌を露出しない服を身につけて行うのだが
この吸血鬼達は、多少の蚊除け道具などにはお構いなく
服の薄手の生地部分を見つけて容赦なく襲いかかってくる。
甘いもの好きで汗かき体質の自分の体から発する
二酸化炭素の匂いを容易に嗅ぎ分けて、
こんな場所の血管を狙うかと思う位的確に
針を差し込んでくる。
「あまりの痒さ」に作業を中断し「痒み止め治療タイム」となる。
育てている植物の生育を邪魔する雑草などを取り除く時でも
ほぼ厄介とは思わないのに「蚊に刺された痒み」は
とても厄介でストレスを感じてしまうのだ。
日本で多いヒトスジスマカ(ヤブ蚊)のメスは普段は
草木の花の蜜や汁を吸ってエネルギー源としているが
産卵のためとなるとタンパク質を補うために人や動物達の
「血を狙う吸血鬼」に昼間から変貌する。
このことはよく知られたことだが、
私はかねてより蚊に刺されるたびにいつも思ってきたことがあるが
近頃加齢による体力の衰えを意識するようになって益々
この想いが強まっている。
すなわち
「蚊の研究者達の中で誰か、タンパク質に代わる栄養源を
人間が食用にしない植物達からのみ摂取できるようなメス達を
研究室で培養して現況の自然界のメスの蚊達と
順次置換させていく研究をして欲しい!」
それが叶えば
「人や動物は蚊に刺されることもなく
今日世界で億を越える患者数と何十万という死者を生み出している
「マラリア」も脊椎動物に寄生するマラリア原虫を蚊が
吸血し保有することでこの蚊に刺された人間に拡がることもなく
世界中どこでも安心して旅行が出来る。」
なんぞと思ってしまうのだ。
現に日本いる「チカイエカ」だけは「一度目の産卵時には
吸血しないらしいのでこの因子なども拡大利用出来ないものだろうか?」
なんぞと又浅薄な知識で思ってしまう訳なのだ。
まあ現在日常、よほどのことがない限り
仮に蚊に喰われた位で命に別状があるわけでもなく
手軽で安価なすぐに効き目のある優れた蚊除けスプレーや
塗り薬が開発されているので
それを利用すればいいだけの話だと言ってしまえばそれまでで
話は終わりである。
「こんな吸血鬼対策」をノー天気に考えていると
猛暑続きの8月も既に終わり
「行ってきます!」と元気に登校する
子供達の弾んだ声が聞こえてくる。
2023-7-8
"この煎餅が、幼少期を思い起こさせる!”
「あなたの気に入りそうなものが
あったので買ってきた!」と
その小袋を食卓に置いた。
元来私はマシュマロのような口当たりの極めて柔らかい菓子類は
好まず、しっかりと歯応えのある煎餅や、ナッツやスルメなどなどの
硬いものが好きだからその類のものだろうと
思って紙包みを見ると
(株)小倉山荘 「あられ十菓撰 カルタ百人一首」とある。
中身は一つ一つが個装された小さな煎餅である。
個装された小袋の表面には、百人一首の「下の句」が書かれ、
裏面には「上の句」を含めた歌と作者
そしてこの製菓会社の住所などが
書かれている。
「百人一首のカルタ取り」は、私が物心ついてから
小学校3−4年生位まで
我が家の正月の行事として毎年家の中で過ごす時に
家族中で楽しんだゲームであった。
「下の句」がすぐに浮かんでこない私は当然ながら
姉や兄達にはどうしても勝てなかったが、
正月を過ぎた3月位までは「坊主めくり」などを含めて
百人一首の歌に接することが続いたものだ。
「蝉丸」という面白い坊さんの名前と「これやこの
行くも帰るも、、云々、、」という歌も意味も理解せずに
空で歌を唄うように自然と覚えたのもこの頃である
もうあれから何十年も「百人一首」に触れることもなく
過ごしてきたが、この煎餅を見て久しぶりに少年時代が
蘇ってきた。
流石に今では、この煎餅の「下の句」だけを見て
「上の句」をすぐの思い出せないものも多いが
「上の句」を見ればスラスラと今でも唄うように
全句が口から出てくるのだ。
多分私に限らず、百人一首でゲームをすることで
子供時代を過ごした多くの昭和に生きた日本人達は、
きっと皆そうなんだろうと思われるが、、、
然るに子供時代に何度も学習したことを
私のように「老骨に鞭打つ年」になっても忘れないとは、
げに幼い頃の体験とは
何につけても人生の生き方に微妙に繋がるものだと
一つ一つが個装され
中味も工夫して全て異なる美味しい味付けにしている
煎餅を頬張りながら感じ入っている次第である。
2023-5-31
"白雪姫のお目醒め!!、、、”
覆っているのに気がついた。
よーく観察すると、ヘデラの葉が真っ白になっている。
このヘデラは20数年前にポット苗を2苗を植えたものであるが、
その後、時の経過と共にいつの間にかこの庭のあちこちで
見られる様になった。
購入した当時は、「わずかな斑入り」という感じであったが、
ここ数年全体に白味が増えてきているとは思いつつも
特に気に留めることもなく過ごしてきた。
本日はっきりとこの「雪模様」に気がついたのだ。
そういえば苗を購入した時「ヘデラ・白雪姫」と
名札がついていたことを思い出した。
一般に、「斑入りの葉」となるのは強い紫外線による
「老化の原因となる活性酸素の発生」に伴うダメージ
を避ける植物自身の防御本能から
「葉緑体」を作らないかもしくは
破壊するために葉が白くなると解釈しているのだが、
実際には時として「美的」に観ても「斑入り模様」が
あまりに美しいので、多くの日本人達は古来より
「珍品」として敢えてこのような植物達を
好んで収集したり育成したり、
「茶花」や「観葉植物」として器用したりしている。
私は特別に「斑入り」を珍重する者でも無いが、
本日このヘデラを見た時に「美しい白雪姫」が
今正に目を醒ましたと
拍手したい気持ちになってしまった。
2023-5-19
"「白湯を飲み、若々しく!」を目論む密かな野望や如何!”
万が一不運な境遇に遭遇したとしても精神的にも
肉体的にも早期の転換と回復に繋げられることを
人は年齢が重なり「老い」を感じる年頃になって初めて
思い知らされる。
かくいう私も20代から40代位までは
「老いる」ということを露ほども考えず
ノー天気で平和に過ごしてきたのだ。
心の赴くままに兎にも角にも疲れを感じないまま
自らの向上の為と信じて何事も拒まず
「寝る時間」を削ってでも目前のやるべき業務に
夢中に勤めて来た。
交際範囲が広がる度に勢い暴飲暴食も増え
当然体重の増加につながった。
「健全生活」とはほぼ無縁の無謀な生き方は
先見の明を持つ人々からは当然の如く懸念されたり
眉を顰められても意に介さなかったのだ。
然るに、「親の死」「知人の死」
そして学生時代の友人達が次々と他界していく姿を見たり
自分自身も予期せぬ病気に苛まれる体験を繰り返す度に
「若さ」がどんどん遠のいていることに気がついた。
もう若い頃には戻れないがせめて「若々しさ」だけは
維持をしたいと思うのが「ジジイのジジイたる所以」である。
近頃、世界的トップモデルで若さと美肌の持ち主である
「冨永 愛」さんが長年「鉄瓶で沸かした白湯」を常用しているのが
彼女の若さと美貌に深く関係していることを科学的に説明している
のを知り多いに納得した。
これまで私にとって「白湯」は病気の時以外は
あまり縁の無いものであったが、
俄に私の脳裏から離れないものとなった。
そこで茶道具の一つとして購入していた「南部鉄瓶」を改めて
用意し「白湯」を沸かして飲むことを先月から始めた。
確かに普通にヤカンで沸かす「白湯」と異なり鉄瓶で沸かした
「白湯」にはほんのりとしたまろみがあって飲み心地が良いことを
改めて気がついた。
かつて「茶道と陶芸」にとても興味が湧いた時期があって、
その時自作した「湯呑み茶碗」は、まるで
「投げても割れぬ備前徳利」のように何度も落としても
欠けることも無く30数年超えても今だ無事で
自家製の「ドクダミ茶」などを飲むのに毎日常用している。
これを利用して多めに作った「鉄瓶白湯」も冷めていれば
電子レンジで程よく温めて朝晩飲み始めたのである。
果たして、私の願う「若々しく!!」生きていくのに
如何ばかり有効かはまだ確信出来ない。
が、心なしか、
血圧も薬に頼らずとも低下傾向が見られ、
体調も良い方向に向かっていることは確かである。
2023-5-4
"諦めかけた椎茸栽培が復活!”
ここ十数年自分で栽培している原木椎茸が、その時期になると多量に頂く。
大感謝して色々な料理に使わせていただいている。
知り合いにお裾分けしても、なお使いきれないものは、
冷凍にして保存した後必要な度に、
解凍するか凍ったまま調理するが、
やはり届いて直ぐに調理したものに比べれば味は敵わない!
そこで私も勧められて4年前に自分で菌仕込済原木を数本購入して
栽培してみることにした。
最初の年は、順調に数本立派なものが収穫出来たが、
それから全く収穫出来なくなった。設置した場所の環境と水管理に
問題があるかもと考え何度か移したり色々試行錯誤してはみたが、
いずれの場合も椎茸が出てくる気配がトントしない。
諦めかけたこの4月中旬「えい!ままよ!これでダメだったら
大分朽ち始めて来てるしほかすしかない!」と考え
先ず椎茸農家であったら唖然とするような方法を試みた。
(目下の処、科学的にも立証出来ないし恥ずかしいので
ここでは詳細は省きます)
そして一昨日のことである。「な!なんとニョキニョキと
椎茸がどの原木にも出来ているではないか!、、、」
早速大きなものを2本収穫してバター炒めで美味しく
頂戴した。3年振りの収穫である。
掲載した写真は本日写したものであるが、あと1−2日で
さらに大きなものが収穫出来そうである。
兎にも角にも私の試みが、功を奏したように見えるが、
確実性はないので他人様には勧められない。
しかしながら諦めかけていただけに
ちょっとほくそ笑んでいるのだ!!
2023-2-22
"ChatGPTが果たすAI技術の先に見えるもの?”
・・・・・・・・
世界的にもあの超有名なイーロン・マスク氏他、
IT業界の著名人達から莫大な金額の寄付を受けて
数年前に人工知能(AI)を推進する非営利団体の
米国の研究組織OpenAIが創設されて以来、
とうとう昨年(2022年11月)にChat GPTが公開された。
現時点でこのチャットを利用して
世界で情報を入手している利用者がわずか2ヶ月でInstagramや
TikTokを勝る史上最速で1億人を超えたという。
かく言う私も早速このサイトにログインして
利用を試みた。もちろん無料である。
英語が基本であるが、日本語の入力でも答えてくれるので
知らぬ英単語を調べ直す必要もなく
こちらの質問に違和感のない日本語で即座に又は
ほぼ15秒位で答えてくれる。
、、、が、しかし大抵本当に正確だとはどうしても
思われない頓珍漢な回答になっていることもあり
思わず笑ってしまう。
ただこちらの質す問を注意して限定的に絞り込むと
かなり現時点で自分が理解承知している
納得出来る回答になることが分かった。
さらに言えば、文献や記録など明らかに公開されている
事柄については、相当詳細な回答が返ってくるのだ。
そして「公開されていないことでも明らかな間違いを
訂正するように」打ち込むとすぐに逆らうことなく
素直に訂正して間違いを直してくれるのも実に好感が持て、
面と向かって人と話を交歓しているようである。
確かに使い方一つで、このChatGPTは、
大変便利なツールであることは
間違いなさそうで、将来さまざまな分野で
世界の常識を覆す革命的ツールになるかもしれない。
が、ここで一つ疑問が生じてきた。
もし悪意を持った人間が敢えて偽の情報を
尤もらしく報告したとすると
それを信じた人間達がいとも簡単に騙されたり、
不利もしくは危険な方向へ誘導されるかもしれない
とも思えるのだ。
期待感と同時に相反する恐ろしさをも内包する
このChatGPTは
まだまだ検討の余地があるツールであることを
実感した次第である。
2023-2-4
"戒め” "ミツバチは魚の一種 裁判"に乾杯!
急遽一カ月程入院生活を余儀なく
させられる羽目になったが
幸い近隣病院の
良い女医に巡り合え
そのドクターの慎重な治療のお陰で、
体調がほぼ回復退院した。
このまま普通生活に入る手もあったが、
前に今回と同じような症状が起こった時
内視鏡治療だけで施術を済まして
やり過ごした為に
今回の結果になった事を考慮し
紹介を受けた別の病院に転院、
私の病の元凶をこの際、確実に
断ち切る為の手術を受ける事にした。
私の病の元凶写真がこの画像である。
胆嚢内に長い間巣食っていた胆石である。
胆嚢の炎症が酷く癒着がある内は、
胆嚢摘出手術が困難になるらしく
私の体調回復を待って遂行された。
4時間を優に超える手術であったが
大過なく生涯初めての全身麻酔手術が
私には夢を僅かに見ていたと言う
ノー天気な感覚(知らぬが仏)の内に済んでしまった。
術後の回復も順調で、
無事この2月初旬退院
我家に帰還と相成った。
手術の後に執刀医から渡されたのが、
写真の鉄の塊のような石である。
測れば指先一節ほどもある。
10x4cm程の胆嚢内になんと2つも
いつの日からか長い時間をかけて
密かに巣食って拡大し私の身体を
蝕み苦しめて来たのだ。
それもこれも、元を糺せば、
私自身の不摂生な食生活から
もたらされたものに過ぎないのだ。
要は脂質の取り過ぎや、好物だからと
セーブをかけず摂取し日を重ねるゆるい食習慣
が遂に「健康と若さの神達」から
愛想尽かしされただけに他ならないのだ。
今回の摘出手術によって取り出された
この石達を「自戒の印」として、
いつも眼に見える所に
飾って置く事にした。、、、
“戒め” “戒め”
2022-11-19
記事サイト:https://sdgs.yahoo.co.jp/featured/314.html
現代人の祖先ホモサピエンスの誕生より
遥か昔の5億年前にこの地球の地上に
いち早く住み始めた植物達
そして4億年も前には存在していたと言われる昆虫達に
特別敬意払っている自分としては、植物や昆虫達の
の成長と種の保存、ひいては彼らのお陰で
地上生活をする人類も生存し続けるだけの滋養を得られ
生きながらえて来たのだという
この生命を継なぐサイクルに「のほほんと無頓着!」に
構えてはいられないのだ!
然るに
この粋で未来志向を備えた慧眼の裁判官の判決に
「拍手と賛同の嵐」を浴びせたい!
「愛と欲と憎しみの醜く尽きない争い」という人類の歴史の中で、
出来るだけ公平で分かち合える解決を求めようという
法律の考えはどんな叡智を集めた所産であっても
所詮人間の手による法律である以上完璧では無く
一時代、一時期、一地域という狭小な枠という制限の中で
歪みが生まれてしまうものなのだ!
私は法律家の中で裁判官と言う立場の法律家の見識と人間性が
地球の未来を左右する最重要な因子であると常々
思って来た!
裁判官は司法試験の成績最高優秀者であることだけでは充分では無い!
欠点だらけの法律を私利私欲にとらわれず
「この地球の永続的な未来」を見据え
「地上の人類皆が、平和と安穏な一生」を過ごせることを
第一義に真剣に考えられる人物こそがその位置に立って欲しいのだ!
米国カルフォルニアのこの「ミツバチ裁判」の今後の動きを
注視したい!
2022-8-28
"今月のシェーネの庭 ヤブラン!この未来を見据えた生命力!"
ヤブランが開花の季節を迎え始めている!
ヤブランは、日向であれ日陰であれ、
猛暑の時も極寒の冬にも
常にしなやかで、かつ触れれば堅い葉を青々と茂らせてくれる。
さらに言えば、土壌の性質に関わらず生々と成長し続けてくれる。
病虫害もまず見られず、和風洋風如何にとらわれず
ちょっとした庭の空間に清楚な景観をもたらしてくれる。、、
実に多様性、汎用性を持った
ガーデナーにとって実に便利な植物である。
日本各地で古来より永く植栽されてきたのも頷ける。
花も楽しめ、やがて黒い実が出来
いつの間にかこの零れ種から新たな株が生まれ、気がつけば
庭のあちこちでヤブランの花を目にすることになる。
近年の地球環境の変質による異常気象に伴い
最早北半球の各国では「四季」は朦朧となり
「猛暑の夏」と「暖と極寒の入れ子の冬」しか
見られなくなり始めている。
どうやらヤブランはとうにこの地球環境を見据えていたかのように
とてつもない「耐暑性」と「耐寒性」備えて何者にも侵されず、
悠久を生きる DNAを先祖から受け継いで来たようだ。
目下、人類が他の惑星へ移り住む構想に向けて「宇宙ステーション」他
天体の研究はかつてとは格段に進展を遂げ
やがて消滅するであろう地球と人類の永遠性へ向けた将来に
大きな希望を与えるものであることは間違いない!
しかしながらその過程で生じている「宇宙ゴミ」(デブリ)の処理の問題は、
使用済み核燃料の処理に躓いている現在の人類の抱える問題と同様、
大きな不安感をも内包している。
軟弱な人間そのものが、もし他の惑星に移り住み生き続ける為には
今からDNAをはじめ人間の体質や姿形を全く別な形に変容させ無ければ
現在の80億近くの人類の大移動などとうてい無理であろう!
せめて地球が存在する現在から
このヤブランのようにどんな環境下でも命を繋いでいけるように
今から準備していかなければならないのだ!
残念ながら私には、知識も能力もないので
このヤブランの生命力のエキスを
人類の生命維持に有効活用出来る研究なんぞ毛頭出来ないが
興味があるのは確かである!
2022-7-21
シェーネの主は、レモンバームやバジル他ハーブ達の葉を
台所の朝陽が当たる窓辺でコップに入れて
毎日水を換えながら育てております。
庭からわざわざ収穫してくるよりも
手近にあると料理によっては直ぐ摘んで使えるので
便利なのです。
ハーブ達は特別肥料を与えなくても
朝陽だけですくすく育ち
やがて根が伸び出すのです!
植物の生命力の凄さよ!光合成恐るべし!
根が伸びたハーブ達は、土壌に植え直しますので
私は、春から秋口迄ハーブというものを
食する目的で購入したことがありません!
子供の頃から「優等生、優秀な子」とか言われ続けて来た者達とか
「これこれは私がした事です、、」と豪語する人達
(この言葉は特に何故か大言壮語する政治家達に多くみられる現象で、
実は地球や人類にとってさほど大きな貢献を
したとは思えず、ほぼ自分の周りの矮小な世界の利益にのみ貢献
しているに過ぎない場合が多いのですが、多分本人は気付いていても
気付かぬふりをしているのでしょう!!)
私の友人達や、知り合い達をザックリ見渡しても
こうした輩が結構居りまして(特に男性達が多いのが困り物ですが、、)
皆「我が強い」「頑な」「強情」「意地を張る」などなどの言葉で
括れる輩達なのです!
勿論とんでも無い理由なき悪行に対する
正義心のために譲らない信念とか
スポーツ等の分野では、ある時期までという限定付きで
「このこだわり」が功を奏すことも多いので一概に
否定は出来ないという事はもちろんあります!
しかしながら、功なり名を遂げても尚且つ
これまでのなまじの自分の優秀性と自身の体験に対して
全幅の信頼と誇りを
幾つになっても堅持しているが故に
自分には異端児に思える心身共に優秀な魂の持ち主や
特異なアイディアを持ち出す他人の突然の登場を
素直に享受出来ずやたらに反発心で満たされ
厄介な争い事や憎しみ合う結末を産み出すことになるのです!
彼らは、時の経過に合わせて自身を変えて行く姿勢を
微塵も持たないまま不満を抱えつつ
無残な最期を迎えて行く事になります!
私なんぞは、大した才能を持たずに生まれて来たお陰で
いずれの分野でも世界的に注目される凄い人達が
常日頃心がけている事とか
是非「お試しあれ!」と薦めて下さる事なんぞを伺ったり
「優れた画期的な研究成果」が
発表されますとすぐ影響されて
採り入れようとつい夢中になってしまう様な
「軽い乗り男」なので、滑ってもことさら咎められず
なんとか幸運に恵まれて大過なく生きて来られたのです!
年嵩が増すに連れ、益々この傾向が強くなっているのです!
即ち、なまじの自尊心などほぼほぼ持ち合わせておりませんので
自身を変えることに何ら抵抗はありません!
むしろ自身が変わらない人達こそ私には不可思議です!
恥も外聞もこだわりから生まれるのだと思うと
その呪縛から解き放たれる幸せはかけがえのないものなのです!
どんな環境に暮らしてもその日から現地と人間に馴染めるのです。
競争にひたすら邁進する意図は毛頭ありませんので
結果が一定期間を待っても「好調の兆し」も見え無いとか、
身体的、精神的にこれは明らかに自身には向いていないと
納得した時は
止めるか退けば、良いのだと考えておりますので、
至って呑気なのであります!
従って人に無理矢理強制する必要もありませんので
至って安穏であります!
どうやら先に述べたハーブ達のような植物達が
敵を作る事も侵害する事もなく、
自らを与えられた自然条件に合わせ
抗うことなく、生き抜いて行く姿は、
近頃益々興味深く
私にはもっぱら人生の師なのであります!
然るにごく単細胞の持ち主である自分は、毎朝
納豆を食べる時にトマトと胡麻にプラスして
バジルやレモンバームの葉をちぎって加えて
食しておりますのも彼ら植物達がポテンシャルに持っている
この地上で5億年以上を生き抜いて来た持続的な生命力を
このお粗末な身の内に少しでも取り込んで
そのご加護とご利益を得ようという密かな野望なのです!
::::::::::::
掲載写真
1、窓辺のハーブ達
2、根が伸び始めたハーブ達
3、植え替えたバジルが10日ほど経過して再び成長した姿
2022-7-13
"ああ知らなんだ!何気に見過ごしてきたこの不注意もの"
シェーネの庭では、
主が勝手に「センリヨウ・マンリョウ通り」と
呼んでいる一画がある。
経年ごとに零れ種が成長してセンリョウ・マンリョウが
今や大小20本を超える数になっている。
この通りは、
日本で古来からその名から「縁起物」として
正月飾りなどに利用されて来た
一両(アリドオシ)、十両(ヤブコウジ)、
百両(カラタチバナ)、千両(センリョウ)万両(マンリョウ)と
似た様な小粒の赤い実を付ける植物達を植栽している
一画である。
ただミカン科の億両(ミヤマシキミ、別名スキミヤ)だけは、
葉や実が有毒なので私の庭では植えていない。
今、夏を前にして、数多いセンリョウ・マンリョウに
花がいっぱい付き始めて来た。
近頃「よーく眼を近付けて!」この花を観察すると
マンリョウの可愛い花に比較してセンリヨウの花の付き方が
どうも不可思議である。
確かに十両、百両、万両は、サクラソウ科ヤブコウジ属であるが
センリョウは、センリョウ科であった事を思い出した!
紀元前300年頃のギリシャのテオフラストスの「植物誌」
に始まる植物の分類は18世紀スウェーデンのリンネの植物誌で
世界中に広がったが、現在はドイツのエングラーの分類学を
改訂した「新エングラー体系」として
日本でも多くの植物図鑑はこれに基づいている。
改めて実物写真と図鑑を比較確認して
サクラソウ科(或はヤブコウジ科)のマンリョウなどのような
美しく可愛い花と異なり
センリョウは、雌蕊に雄蕊が寄り添うように
しがみついている不可思議な
花序になっていることに今更ながら気がついた!
ああ!知らなんだ!知らなんだ!
私はここで改めて
常日頃自分自身で見ている積りでいる事が
実は、全く見ていないのだ!
と自らの愚かさと不注意ぶりを再認識した次第である!!
写真掲載:
1、センリョウ
2、センリョウの花
3、マンリョウ
4、マンリョウの花
2022-5-24 "植物達と生きるこの安穏な日々、、、"
地上で生活を始めた植物は5億年前、苔類が最初であり
昆虫では4億年前にサソリの仲間が最初に誕生したと
言われている。その後の植物達や昆虫達の歴史と比較すると
人類(ホモサピエンス)は高々2万年前である。
しかし人類より遥かに大先輩の彼等に敬意を払うどころか
今やこの地球で一番のさばり、権力闘争を繰り返し、
自分の意に沿わない生命体を容赦なく殺戮したり悪用している。
他の生命体にとって、もっとも恐ろしい存在は人類なのである。
ちなみに植物はといえば、食虫植物の様に自らの体の中に
舞い込んだ昆虫類や小動物を捕らえて生命の糧に
するものも一部いるが、
基本的に他の植物を自らの意志で殺すことが無いのは無論
他の生命体を襲うこともない!
実に命を大切にする「平和」でかつまた
他の生命体に様々な「滋養と幸せの実りとすばらしい景観」
をもたらしてくれる唯一無二の生命体なのである。
ここ二十数年、庭作業に専念する様になって
学生時代の仲間達から「奧田も、やっと目覚めたんだね!」
などと揶揄されるが、植物達と毎日接していると、
庭先の今まで気がつかなかった
場所で野草を始め思わぬ植物達が息づいている姿を見て
「ハッと!」驚き、感動で心が躍る!
私は、一般に庭で見られる雑草と呼ばれる野草達
(例えば、ハルジオン、姫女苑、タンポポ、ハコベ、
オオバコ、キリンソウ、コオニタビラコ、エノコログサ、
シロツメクサ、カタバミ、オドリコソウ、オオイヌノフグリ、
ドクダミ、野スミレ、ツユクサ、トキワハゼ等など、、)が
もし蔓延っていたとしても愛しいと思いこそすれ
邪魔物憎しと思ったことが一度も無い!
(農家の方達には異論があるかもしれないが、、、)
そうはいってもたまに、大きくなり過ぎて日陰を作り
本来育てたい花咲く植物の成長を止める
キク科、イネ科、カヤツリグサ科の仲間達や、
つる性のヤブカラシ、ヒメドコロなどなどが
蔓延り過ぎた場合は、その時点で手で摘み取ることはある。
そもそも植物を育てていると他人と競争して優位に
立とうなどという気持ちが
全く湧いてこないのが不思議である。
植物と関わる人達のフイールドの大小はあれ、
それぞれが、実に工夫をして花いっぱいに
育てたり利用しているのを見ると
「成程!学ばねば、、、」と感心する!
私は、自分のフィールドで、それぞれの植物が持つ特性を
精一杯活かして成長出来尚且つ、
他の植物と共存出来る様な環境にする
手助けが出来ることを第一に考えて来たので、
もしうまく成長出来なかった場合は、
自分の勉強と技術の不足と考え、本を探ったり
その道の専門家に意見を聞いたり
以前とは異なる方法を試し
それでも何度試しても自分の力では如何ともし難い場合は、
この環境で無理なく育つものに移行して来た。
「大自然は、もっとおおらかで、鷹揚なのだ!、、」と
勝手に考えてあまりに拘泥せず、
ましてや品評会に出して栄誉を得るなどという
厄介なことも考えないので
徒に薬を使って昆虫達を殺戮したりもせず、
他所と比べることなど毛頭ない「気儘なお気楽人」として
飄々と今後も過ごしていきたいと思って
上天気に恵まれた日は、必ず庭先で陽を浴びている!
2022-5-5 “日本原産のアジサイ研究の第一人者
農学博士・藤井敏男さんに乾杯!”
かってFBで、「純白から鮮紅色」に変わる極めて珍しいアジサイを
(日本の様な通常酸性土壌の多い環境でもその如何に関わらず
必ず赤くなるアジサイ)を長年研究育成し世界特許登録されている
「白寿紅」のことを紹介しました。
彼は、私の大学時代の学友ですが、今朝4時5分からの約40分ほどの
NHKの「ラジオ深夜便」に登場しました。お聞きになっていない方は、
聞き逃しサービスというサイトから
この後1週間は再度お聞きになれるようです!
この放送の中では、同じく彼が育成し出願登録している
「歯周病に対する抗菌効果」が証明されているという
アジサイから抽出された「甘茶・藤井アマ1号」の話や、
御母堂の話、アジサイとの出会い、彼の作詞作曲した「白寿紅の唄」
などなどいかにも彼の人柄を思わせるほろりとさせる話が盛り沢山です。
是非ご視聴下さい!
目下シェーネの庭でも、彼から手に入れた「白寿紅」が大きく成長し、
今年は、漸くたくさんの花をつけてくれそうです!
2022-4-5 "自身の健康と体調を推し量る、、視点"
40代までは10年単位、50代からは5年
70代で3年、80歳過ぎたら1年
100を超えたら一日一日
ロシアのウクライナ侵攻後
プーチン大統領の真の狙いを
世界中の人々が推測っているが未だ
定かではない!
然るに未来を考える視点として
社会環境や地政学そして政治経済的局面で考察すると
各国とも20ー30年から100年単位で考えて
国の方針を決定している様に見える。
概ね「孫の代には、、云々かんぬん、、」と
考える人達が多いからであろう!
ところが、地球という視点で見るとその生成過程を考慮して
500年-1000年更には何億年という長期の視点で考察していく
さらに言えば宇宙という視点になるとビッグバンに始まる
宇宙物理学的視点で何百億年という単位にまで拡散していく。
ところが人は、自身の身体のこととなるとこう大所高所に立って
俯瞰するわけにはいかないのだ。
人間は「高々100年かそこらの命である」と分かっているので
どうしても狭量な視点からしか自身の健康や体調については
現実として考察することも対応する事も出来ないのだ。
私のわずかな体験からして
自身や周囲を見渡しても特別な事情や事件などがない限り
50歳位までは十年ぶりに知り合いに出会ったとしても
さほど大きな変貌ぶりを感じることがまず無い。
それが50を過ぎると数年も経ないで会ったにも関わらず
その激変振りに驚かされる事がある。現に55歳で肺癌で
亡くなった私の敬愛する画家・安徳 瑛は1ー2年のうちに
激痩せし誰が見ても死期が近いと感じさせる容貌に
なってしまった。
又一般に70歳を過ぎてくるとそれまで頻繁に
年に何回も開催されていた同窓会の回数や
出席者達が急に少なくなって来る様だ。
聞けば、昨年急逝したとかの話が出て来る。
今ロシア大統領プーチンは本年で70歳!
その心に去来する自身の健康と体調や如何に!
近所に80歳を超えた老婦人が居て、植物を育てるのが好きで
色々と相談を受けたり植物談義で花を咲かせて来た。ところが
半年からここ1年、話をしていると5分前に話したことを
もう忘れて同じ質問をして来る様になった。明らかに認知症
が進んで来て、あんなにお洒落にしていた容貌にも
全く無頓着になりまるで山姥の呈!
このコロナ禍の一年の経過で人と話をする回数が
極端に減って来たことにもよろうが驚愕で
心配するほどの変貌である。
又、100歳と言えば
近頃久し振りに、見逃してはならぬ企画で
多くの美術ファン達の足を運ばせた展覧会(美術愛住館にて)を
開催した文化勲章作家・野見山暁治(101歳)さん!
(故・安徳 瑛も生前一目置いていた東京芸大の大先輩で
あり、常に氏の作品を饒舌に賞賛していた)
その変わらぬ活躍ぶりで観る者達の心沸き立たせる息揚々とした
新作中心の作品群見ていると
よく大相撲で勝者がインタビューを受けて
「一日一日いい取り組み、、、」
と語っているのと同じく、一日一日を健康に留意し充実させ
見栄も欲も他所に置き淡々とした画家生活振りが
私には垣間見えてくるのだ。
100を超えたら一日一日‼︎
2022-2-3 "世界を震撼させるロシアの最高権力者プーチンの意図"
世界史に刻まれるこの戦争を正確詳細に捏造なく如何に記録出来るか?
(ロマノフ王朝時代の怪僧「ラス・プーチン」の存在と対照して、、、)
ウクライナの侵攻を決断したロシア大統領プーチン!
「ゴルバチョフ、エリティン」の時代にソ連邦の
崩壊と民主化が進んだ前後から頭角を表して来たこの名!
名前の似た人物、あの「帝政ロシア崩壊」に
絡んだロシア正教の怪僧「グリゴリー・ラスプーチン」の名が
対照的に私にはどうしても重なってしまう。
ご承知の通り、シベリアの貧農の子として生まれた
「ラス・プーチン」は、無学の道から歩んで熱心な修行僧の身へと
転進し努力の結果信者達から大きな信頼と尊敬を受ける。
やがて当時のロマノフ王朝の一族にも寵愛され遂には
ニコライ二世夫妻にまで信頼を勝ち取るほどに
立身出世した稀代の怪人物である。
時と共に宮中の女性達にも熱烈な信奉者が増え、遂には
皇帝に対しても容易に物申せる存在となる。
当然のことながら、ロシア正教会と皇帝を結びつける存在以上の
権力者へと変貌を遂げるとそれを妬む「政敵」が次々と登場する。
彼にまつわる様々な不道徳極まる悪口雑言が満ち満ちて遂には、
暗殺未遂事件まで起こる。その後、
第一次世界大戦前のバルカン戦争に於いて対立するバルカン諸国の
仲介問題で汎スラブ主義を提唱するニコライ二世、中でも
その取り巻き連中達と益々敵対し次第に
王朝とも距離を置く様になる。
第一次世界大戦でのドイツとの戦いに於いて「ロマノフ王朝の
君主制崩壊」を懸念した彼の交戦反対平和への請願も受けいられず
その後、皇帝内部を2分する政敵の画策や虚実ないまぜの
騙し合いの渦中の中で遂には暗殺される。
結局「ラスプーチン」という盾を失ったニコライ二世のロマノフ王朝は、
滅亡することになる。
「ラスプーチン」の話が長くなったが、私には、
「プーチン」の行動とさらに激化して進めていこうとする
精神構造を見ていくとロマノフ王朝の滅亡と重なり、
追い詰められた者達の無謀な判断の
結果が見えて来て今後のロシアのいく末を想って空恐ろしくなるのだ。
ウクライナとの停戦交渉が、早期に進むことを念願している。
詰まるところ申し上げたいのは、
この世界を震撼させるロシア大統領「プーチン」の今回の事件を契機に
「プーチン」とロシア全土、そして東欧からバルカン半島
さらに全世界にエネルギーや経済と精神に及ぼす影響を
世界史の中で真の実態記録として正確に後世に
残さねばならないということである。
映像技術やIT技術が過去に比べるもの無く遥かに進んだ今日、
正確な記録や資料は間違いなく保存され、
口承による都合の良い解釈の懸念は薄いのだろうと思うが、
ウクライナの大統領ゼレンスキーの音声映像共に本人と
錯覚するような「AIのディープラーニング技術」による
フェイクの動画を目の当たりにすると
歪めた記録が残される懸念もある。
然るに、プーチン自身自らの想いを詳細に記録しておく
必要が有る事は勿論、側近の人物達、マスコミ関係者、
歴史学者、科学者、社会学者、経済学者他
客観的に情勢を見られるロシアを含む世界各国の人達が、
偏らない証拠と記録を残しておく必要がある。
後世の人間が彼らの遺した記録をすりあわせて検証する時、
この侵攻事件の事実は何か?なぜ起ったのか?を
正確に掴んで世界史の正しい1ページを知ることになるだろう!
「プーチン」の真の実態を見えないままに留めてはならない!
然るに先頃の我国の一部の政治家達の様に
配下の官僚達が、忖度して記録の改竄や捏造
という愚行に陥る様な言動は厳に慎まなければならない!
近頃の世界は、元米国大統領「トランプ」氏の掴みきれない
不可解な言動と行動或いは「トランク」の中に身を隠して
国外逃亡にまんまと成功した元日産社長「ゴーン」氏等々、、
怪人物が世界中で突出している。
脚色が勝負の文学や演劇、映画の世界では、
やたらにエピソードの多いこうした人間はその世界で限定する限り
いかにも面白がれそうなモチーフではあるが、、、
「ラスプーチン」の時代では有りがちだった様な
「プーチン」の真の素顔を隠蔽して実態を不透明にする様な
存在にしてはならないtお思うばかりである。
2022-2-3 "脳の力の及ばないもの"
近頃「ざわつく金曜日」という番組で 長嶋一茂が、
若く綺麗な女性と見ると直ぐに口説いたり
過去の下ネタ話の失敗談を面白おかしく披露しているが、
女性達から顰蹙を買うかと思いきや、この徹底した
「バカ息子」ぶりが逆に視聴率を上げ人気の様で
私もたまに視聴するとつい落語を聞く如くに笑ってしまう。
「いい歳をして、、」と一喝され、まかり間違えば、
悲喜こもごもの大事件へと発展しかねない
この倫理感欠如に関わる如何ともし難い問題は、落語に限らず
多くの文学や詩、様々な芸術の題材となって今日でも変わらぬ
人間の性にまつわる宿命的課題で「理性と感情の乖離」故に
多くは引き起こされるが、
一方でたかだか100年の人生を良きにつけ悪しきにつけ
立体的に拡張させてもいける由縁でもあるのだろう!
かつて銀座の画廊に勤務していた時の話!
ある日、当時日本を動かす財界の大御所、
経済同友会などを束ねるVIPが
来廊されたので、画廊の社長の脇に臨席しお相手することになった。
絵画論議ほか色々な話を交換していると
途中でその方が、出されたお茶を飲むために湯呑み茶碗を
持ち上げようとした。ところが、手先がプルプルと震えている為に
湯呑み茶碗からお茶が床にピチャピチャと溢れ出し
「アラ!アラ!」ということになった。
その方は既に80歳を優に超えられていたので、
私には特別大ごととも覚えず社長と共に平然と対応した。
ただ帰られた後に知って「へえー」と驚いたことがある。
氏がごく最近、若い女性との間に子供を儲けたというのだ。
私は、「脳というものは上半身と下半身のコントロールを、
全く別な処理をするものなのだ、、うーん!、、、」と
いたく脳の作用というものに興味が湧いたのだった。
昨年山中伸弥教授とタモリ氏が担当してNHKスペシャルで
「脳や心臓が人体の中心」なんて考え方は捨てるべきで
体はあらゆる臓器や細胞がダイナミックな情報交換を繰り広げ
脳もその影響を受けている」
と言う番組を見てから、そうだ!脳の作用を活発化させるには
局部的な肉体の鍛錬や働きで可能になるのだ!
自分が老いても尚あの方に勝る若さを保てるかも知れないと
お気楽人の私は勝手に解釈する事にした。
ただ極端過ぎると現在の
平穏な生活を脅かし兼ねないかもよ!
嗚呼!お祓‼️
「くわばら!くわばら!、、鶴亀!鶴亀!、、、」と、、、
2021-11-18
''空白恐怖症???''
先日たまたま見ていたTV朝日の羽鳥のモーニングショーで
「空白恐怖症」に陥る人が増えていることへの警告の話題が
取り上げられていた。それに依ると
「毎日必ずメモの予定表にその日にする事を書き込まないと
気が済まず空白欄があると落ち着かなくなり
何としてでも埋めたくなる」らしい!
私なんぞは「ふーん?」という感じである。
そういえば友人や知り合い達の中に、若い頃から約束を
しようとすると必ず手帳を取り出して誇らしげに
スケジュール表を
見直す輩が居た事を思い出した。
覗いてみるとビッシリ予定が書き込まれている。
私は「毎日何でそんな忙しくスケジュール通りに
動き回っているのだろう?」と訝しく
感じたものだ。自分の手帳は?と言えば予定表には
絶対忘れてはいけない日と時間以外書き込まれてない。
書き込まれているメモは欄外に
ふと思いついた言葉や出来事で大いに刺激を受けた時の
感覚を忘れない為に雑な字で書き込んであるだけだ。
長いこと自身の健康を過信して気儘に好きな様に
食べかつ飲み又夜更けまで企画や打ち合わせ調整し
繁華街の酔っ払いをよそ目にしながら深夜タクシーで
帰宅し翌日は早朝に出掛けるという繰り返しの中、
仕事と生活は十分エンジョイ出来ていると
「勝手な気儘な馬鹿なお気楽人」で過ごした結果、
ある日遂に生命に関わる大病に罹患した。
幸い生命を失う事なく以降「過ぎたるは及ばざるの如し!」
出来る限り緩急をつける行動に切り替え、等身大の
背伸びしない暮らしを心掛けてきた。
今は人的交流に関しては、
昼間のみに限り全ての夜の会食は遠慮している。
この一年半に及ぶコロナ禍でその昼間の交流も激減している。
従って最早手帳に予定表に書き込む必要もなく
以前にも増して空白だらけになるので手帳は
私にはもはや無用の長物である。
幸い今世紀に入ってからは、
「スマホ」や「タブレット」などの
便利なデバイスを手に出来たので必要な日付を
入力しておくだけで、
事前にそれらの端末から必ずお知らせが入るので
全然困らなくなつた。
元来私は一日中家で過ごしていたり、一人で好きな事を
しているだけでも全く退屈しないという性格もあるが、
ここ20年ほど本格的にガーデニングに力を入れてから
毎年自然現象の影響を受けて、1日として同じ結果になる
ことが無い多くの植物達を育成していると、
一定の季節にすべき作業というものは有るが
決まった期日にしなくてはならないという事が無いので
ノー天気な私にはどうやら向いている様だ。
私には「空白恐怖症」とはまず今後とも無縁の話なのだ。
2021-11-14
''呼称がもたらす人の言語行動意識の不可思議!''
日本ハムの新監督に新庄剛志の就任が決まり
記者会見の開口一番「監督と呼ばずに
ビッグボスと読んで欲しい!」と語り派手な衣装での
パフォーマンスから新庄劇場が幕開けた。
早速キャンプでの活動が始まりその動きに
野球ファン達は旧態然とした球界に新風の兆しを感じ、
MLBの大谷の「常識崩しの二刀流」の大活躍と
相まって低迷する子供達の野球熱も復活し
野球観戦が一層面白くなるという期待でワクワクし始めている。
元より彼自身が「顔、スタイル、見栄え、自身の残した個人成績」
そのものが、尋常(新庄?)でないほど卓越していることが
「カッコ良く」人気上昇に繋がっている事も確かだが
「監督」という選手と距離を置く名称を使わないという
この呼称ひとつをとつても上から目線ではなく
ファン目線で考えるという配慮が見て取れるからだろう!
翻ってこの世の中、地位に付属する呼称が互いの距離を作り
コミュニケーションの阻害そしてトラブルを引き起こすことは
よくあることである。例えば「先生」という呼称
この名称が冠される医者、教師、議員、弁護士などなど、
私の経験範囲で述べる限り特に医者は、その最たるもので
「鉄面皮、無愛想、仏頂面、、」の人物が多い。
お笑い芸人では無いので苦しんでいる患者を前にして
ニコニコしろとは申さないが、「どうしてあんな顔して
高飛車に上目線で威張るのだろう??、、、」と思うことは、
よくある。患者は明らかに「弱者」であるので、徒に反論すると
充分な治療が受けられないかもしれないと考え
自分の意思を押し殺していると思われる患者を
たくさん見てきた。この高圧的態度は交通取締の警察官にも
よく見られることではあるが、、、「先生」では無くても
「取り締まり」という立場がこの上から目線を引き起こす事になるのであろう!
私はこのコロナ禍で自身の死と隣り合わせで懸命に患者の治療に
当たってきた献身的な沢山の医者達の姿に感謝とエールを
送ってきたので
ここで医者と喧嘩する積もりで言及している訳では無論無い。
「先生」と世間からもてはやされ呼称される一般的な教師や、議員、
弁護士などなどの人達の中で
相手の地位と立場、懐具合(金持ちか否か)でいかに自分の利に
結びつくかを第一義に即座に判別して、病気や案件、原因そのものを
注視せず、高圧的、高飛車な態度で自身の思惑だけで言及する
人間達を問題にしているのだ。
詳細な資料や科学的根拠などに基づいて
患者もしくは相手に納得させる丁寧な説明努力しても
わからず屋」の相手でましてや
暴力などを振るって来る相手に対してまでも
「堪忍袋の緒を切るな!」とまでは申さない!相手を
屈服させるのでは無く常に、
相手を心底納得容認させる様にして欲しいだけなのだ。
因みに医師についてもう少し言及すれば
私は医者をこれまで科学者であると思ったことは無い。
ほとんどの医師達は、同じ患者を診ても同じ判断や治療が
行われないことが多いからだ。医者の診断は、最も原始的な
積み重ねられた経験則によって左右され科学的根拠とは異なる。
(まあ!だからこそ人間臭いくて人生楽しくなることでもあるが、、、)
来永劫優れた医者の要件として私が考えるのは、
豊富な知識と経験により磨かれた技術は無論のこと
最も大事な要素は素晴らしい直観力と洞察力を
兼ね備えコンピュータでは予測できない
天性の人物こそが 資料と科学的根拠の総力でつくりあげられた
将来の「AI医者」が取って代われない医者となるのだ。
自分の身近に優れた医者がいる人は長寿に結びつけられる確率が
高まるので幸せである。医者を選ぶとき病院の大小の規模や、
偏差値の高い大学卒業者であるなどの短絡的な理由で選ぶ
ことは危険である。あくまでもその病院にいる医師が
いかに資質の優れた医者であるのかを判断して選ぶべきである。
つまり結論として言いたいことは
思慮のない「先生」と呼ばれる人間達の勘違いしている
不可思議な行動をのほほんと看過していると、
いつか自分の身に災いが降りかかって来るということである。
2021-10-16
''歯がもたらした健康意識''
今振り返れば、まだ若さに任せて
好き勝手な飲食生活と習慣を続け、
健康管理なんぞにはとんと無頓着な暮らしぶりが
祟ったのだとは自戒しているが、
ある時、どうにもならない奥歯の傷みで
歯科医の治療を受ける羽目になった。
治療中のある日、その老歯科医師が語った。
「奧田さんはの歯はいい歯だね!」
「???、、先生!どこでいい歯と分かるのですか?」
「それは、奧田さんが絵を見ていい絵だと分かるのと同じだよ!」
「????!えー!審美眼なの???」
「まあ!ご両親に感謝することだね!」
どうやら歯の質や髪の量や黒髪の資質は、親譲りのもので
あるらしく、この老歯科医は一目でそれを見抜いたらしい!
その時は直ぐに首肯し兼ねたが実に面白い医者だと思い
その老歯科医の言葉をずーと忘れないで来た。
然るに亡き私の両親は二人とも黒髪の持ち主であった。
さらに歳の離れた既に亡き姉は、黒髪と丈夫な歯の持ち主
であつたし他の子供達も皆同年齢の他人と比較すると
黒髪を堅持している。
この歯科医の言葉を半ば納得した訳もそこにある。
私自身も致し方なく数年前にどうしても耐えられなくなった
虫歯を1本抜歯こそしたが他は全て揃っているし、
現在でも子供の頃から変わらずマシュマロのような
妙に柔らかなものは嫌いで
歯応えのある硬い食べ物を好んで摂っているので、
今は亡きあの歯科医師の言った通りなのだと思っている。
いつかは定かでないが十数年前くらいに、あるテレビ番組で
100歳以上の多くの老人達の「歯の調査」した報道があった。
その老人達のほとんどが高齢にも関わらず
自分の歯をしっかり堅持していて、物をよく噛んで食べていた。
総入れ歯だという数人の老人達は欠かさず毎日、丁寧に「歯肉」
を磨いているというのだ。
この報道を見て以来、私は高齢になっても健康で認知症にも
縁遠く楽しく自分のやりたい生活が出来るようにする為には、
親譲りの佳い因子に任せるだけでは不十分で自らの健康に向けた
日常生活を諦めずに積み重ねることだと
これまで以上に頭に深く刻んだのだ。
以来、元より朝晩の歯磨きを欠かしたことはなかったが、
更に回数を日に最低3回は履行している。
特に朝、寝起きの歯磨きを最も重視し丁寧に行っている。
今年から電動歯ブラシを導入し始めたら
実に快適で便利で効率よく
朝昼晩とブラシを替えながら歯ブラシするのが楽しくなった。
もう普通の手磨き歯ブラシには戻れない!
こうした大袈裟でない身近な近代の優秀な機器を知り
活用する事で自身の筋力や基礎体力を鍛えるストレッチや
運動と併用してこそ、
安穏な精神生活を過ごせ、強いては今後の長寿社会を
他人に必要以上にに寄りかからずに生きてゆけることに
繋がるのだと思って日々を過ごしている
2021-7-31
''礼賛!この肉体美を見よ!'
より早く!より高く!より強く!''
今週から、私が一番待っていた陸上競技が始まった!
陸上競技が始まるといよいよオリンピックも佳境に入った
と思えるのだ。
目下の処各競技で日本選手達は、強い精神力を発揮して
過去のオリピックを優る好成績を挙げ
コロナ禍で苦しむ国民達に大きな夢と希望を
与え続けてくれている。
私は、陸上競技には特別な想いを抱いている。
小中学時代から、体育は最も興味ある科目であった。
時間割の中で体育のある曜日は、朝から気分が爽快であった。
当時都内の学校間でも、対抗競技が
多く開催されたのが、水泳と陸上であった。
学校を代表して何度も選手として参加することが出来たのも、
ひとえに目指す目標が明快で
集中力を最高位まで高め、結果は自分自身が負わなければならない
という緊張感、全校の生徒達の声援に応えたいという昂揚感は、
今思い起こしても熱くなってくる。
中学時代、かつての国立競技で行われた800m走に出場した時に
最後の直線に入った時に、スタンドから聴こえて来た声援は
この歳になってもまだ耳に残っていて忘れない。
残念ながら全国レベルの選手になるような実力が私には無かったので
今日、こうしてごく平凡な生活を享受出来て暢気に暮らして
いるわけだが、私もそうであったようにこのオリンピックを観て
スポーツ好きの子供達が、胸膨らませているのは当然だろう!
話を元に戻すと、「より早く!より高く!より強く!」を
標語とするオリンピックを観戦する時私の抱く大きな魅力は、
身近な選手達を応援しメダル獲得を期待する
という事だけに留まらない。
各競技の世界のトップクラスのアスリート達の美しい姿を
目にする事が出来るという事だ。
特に陸上選手達に見られように世界のトップトップ10に入るような選手達の
肉体を見ると「この標語全てを具現」しているような
「ここまで人間は鍛え上げられるのか!」という驚きに圧倒される。
まるで古代ギリシャ彫刻を見るような美の極みなのだ。
「美しい!」と言う言葉は彼らの為に作られたと
礼賛拍手を送りたいほどだ!!
押し並べて、日本の美は、「楚々!」「簡潔!」「空!」
「凛!」「森閑!」「静寂!」「無我!」「平安!」などなど
どちらか言うと「静」を中心とした思想に裏付けれた美意識に
基付いているが、
オリンピック即ち世界を代表するアスリート達の美は真逆の
肉体の中に潜む「内的エネルギーの動的うごめき」
そのものの美なのだ。
35億年前に誕生した生命から今こうして変化を続け人間は
大自然の創り出した美とは異なる形でオリンピックという
「美の祭典」を通じて我々の前にその美しさを提示してくれている。
2021-4-12
「アゲハ蝶の飛来する日」
(スポーツ界の日本人選手の活躍と感動が、
暗雲立ち込める世情の救世主として、、、)
今日シェーネの庭に、例年よりも早くアゲハ蝶が、咲き始めた
「マイヤーレモン」の花の蜜を求めて飛来しました。
「U君❗️今年は、早く来たね!」、、と
そう私は、彼(蝶)に呼びかける!
山野草とキノコに詳しく、山と虫を愛し、大学一年時には、
早稲田大学選手として箱根駅伝で「華の2区」を走ったU君!
陸上競技に精通して足の筋肉の大切さについて
目を輝かして語ったU君!
あの日、食道癌であっという間に逝ってしまった君が
最後にこの庭に来たのは、5月でした。
君との会話は、いつも美術と植物とスポーツの話で
過ごした安穏な日々でした。
君が逝った翌年から!真っ先に5月にアゲハ蝶が飛来すると、
また君が笑顔で挨拶に来たと思って来ました。
彼のことを思うとスポーツとは、何だろうといつも思うのです!
世は、
コロナ禍の中で、東京オリパラリンピックの開催も危ぶまれ、
ミャンマーの民主化を阻む軍人達による自国民への虐殺は、
幼い子供達にも犠牲者が及び、
戸惑う世情の間隙を縫うように今や経済的にも
超強大国となった中国による
太平洋から宇宙までを含めた壮大な
宇宙と地球制覇計画が、
静かに、しかも着々と推し進められ、
このところ息を潜めているイスラム過激派をはじめとする
国際テロ組織の動向には
まだとても楽観視するわけにはいかないのです。
まさに、もうこの地球には、「平和の為だ」という名の
実態のない一部の人のプロパガンダの下で
多くの虐待や殺戮が公然と行われているのです。
既に報道されているように、松山英樹がゴルフ「マスターズ」優勝
という日本人の70年にわたる悲願であったメジャー初制覇の
偉業を果たしました。又
今年になって、日本人国民の誰もが、一時その活躍に、
絶望的になった池江璃花子の奇跡的な大復活に
落涙の感動を受け、
多くの日本の野球人や評論家達には無茶な挑戦だと
思われて来たエンジェルスの大谷翔平の「二刀流」に対しは、
怪我を克服して
本格的に今季登場して以来、
彼なら野球史を塗り替えられるかもれないと
アメリカの野球人達からも、今や大きな期待を持って
受け止められ始めているのです!
かように、スポーツ界の日本人天才達が、次々と目下
傷つき、荒んだ人々の心に、真の「平和の喜び」と未来への
「幸福の実現」に向けて、躍動的な一歩を進める心理効果を
もたらしてくれているのです。
今や全てのスポーツで日本人の活躍を見ない日が無い位
各分野で能力ある選手の体力と精神と才能が、
科学的分析に基づいて研究し続けられ、彼らの能力は
遺憾無く発揮されています。
スポーツが本来の地球上の人間の希求する「平和」と
「健康」に資する「日本発の真の救世主」になることを
老婆心ながら願うばかりです!